あたくし、これでお暇しますわ
女 (ゐたゝまらず)あたくし、これでお暇しますわ。
廉太 (女に取縋り)そんなことないよ。
女 そんなことないつたつて、こんな場所に、あたしがをれますかよ。
廉太 だから、今、話をつけるよ。お父ツつあん、いゝかわるいか、どつちなんだよ。(声がふえる。訴へるやうでもあり、脅すやうでもある)
文六 (恨めしげに廉太の顔を見上げ)お前やつぱり帰つて来たのか。
(長い沈黙)
京作 昨日から、ずつと公園にゐたんですか。
廉太 えゝ。
京作 (二人の顔を見比べる)食べものはどうしました。
廉太 (元気づいて)この人が、どつかへいつて、パンを貰つて来てくれたんです。水は、噴水の水を飲みました。(思ひ出を辿るやうに)僕は、家を出ると、すぐに教会の丸尾先生の処へ行つたんです。戸が締つてゐて開きません。声をかけても返事がないんです。
京作 それで。
廉太 それで僕は家へ帰つて来ようと思つたんですけれど、公園の方があんまり賑やかなもんだから、一寸行つて見たんです。どの樹蔭も、どのベンチも、人で埋つてゐました。それが、どこを見ても、年寄と子供は、一人もゐないんです。どこを見ても、二人づゝ一と塊になつてゐるんです。それは丁度、雛人形の市です。
京作 なるほど。
廉太 (だんだん演説口調になる)僕は淋しいと思ひました。一人ぼつちなのが淋しいと思ひました。とぼとぼと、池の縁に添つて、あの森の方に行きました。日が暮れてゐました。瓦斯燈はつかない。そのうちに、雲の間から月が出ました。丸い月でした。あつちでも、こつちでも「まあ」とか「やあ」とか、さういふ声が、はつきりではありませんが、大地の吐息のやうに、僕の耳に響いて来るのです。小声で歌を唱つてゐるものもありました。
京作 ふん。 http://www.w-hoken.net/