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美奈子が、廊下から

美奈子が、廊下から、そつとその庭へ降り立つたとき、西洋人の夫妻が、腕を組合ひながら、芝生の小路を、逍遥してゐる外は、人影は更に見えなかつた。
 美奈子は、ホテルの部屋々々からの灯影で、明るく照し出された明るい方を避けて出来る丈、庭の奥の闇の方へと進んでゐた。
 樹木の茂つた蔭にある椅子を、探し当てゝ、美奈子は腰を降した。
 部屋々々の窓から洩れる灯影も、茲までは届いて来なかつた。周囲は人里離れた山林のやうに、静かだつた。止宿してゐる西洋の婦人の手すさびらしい、ヴァイオリンの弾奏が、ほのかにほのかに聞えて来る外は、人声も聞えて来なかつた。

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 闇の中に、たつた一人坐つてゐると、いらいらした、寂しみも、だん/\落着いて来るやうに思つた。殊にヴァイオリンのほのかな音が、彼女の傷いた胸を、撫でるやうに、かすかにかすかに聞えて来るのだつた。それに、耳を澄してゐる中に、彼女の心持は、だん/\和らいで行つた。
 母が帰らない中に、早く帰つてゐなければならぬと思ひながらも、美奈子は腰を上げかねた。三十分、四十分、一時間近くも、美奈子は、其処に坐り続けてゐた。その時、彼女は、ふと近づいて来る人の足音を聴いたのである。

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