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われ/\は常につくろふとか

われ/\は常につくろふとかたゝかふとかいふ所謂延言の一種を使うて居つて何の疑をもおこさぬ。今日の発音ではつくろふもたゝかふも、みな終止形はおの韻をもつたら行長音なりか行長音なりになつてしまふのであるから疑のおこらぬのも尤である。けれども仮字づかひについて考を及してみるとどうもをかしい。なぜつくろふの ro は rofu でかたらふの ro は rafu なのか、どういふわけでまたたゝかふの ko は kafu でかこふの ko は kofu でなければならぬのか、妙な事だといふと常識はたゞちにかう応へる。
その疑は今日の発音を土台として考へるから起るので、昔はつくろふを tukuro-fu、かたらふを katara-fu と発音したからである、またたゝかふは tataka-fu、かこふは kako-fu と発音通りにうつしたのにすぎないとこたへる。けれども疑はその点ではない。形容詞や動詞をとつて考へてみると、

くや・し  うらやま・し  あぶなか・しい  あら・し  やさ・し  たゝは・し
べか・し  めか・し
うごか・す  
さか・る  こが・る  まか・る

などのごとく動詞形容詞助動詞すなはち用言の将然段又はあの韻を以て終つて居る語から他の語につゞいてまた用言になつたらしいものがあるかとおもへば、一方には用言の終止段から他の語につゞいて同じく再びある用言を形づくつたらしく見えるものがある。
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