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神の容れ物としての石

前に、此石成長の話も、たま成長の信仰と関係がある、木や竹の中に這入つて成長すると考へたたまが、石の中にも這入る、と考へたと述べたが、後世の考へからすると、木や竹ならば、這入つても成長するだけの空間があると考へられるが、石のやうなものでは、第一這入る事も出来ず、其が大きくなるなどゝいふ事は、到底考へられない事だと思ふが、昔はさう信じたので、即、たまが其中で成長すると信じたので、成長してある時期が来ると、前のうつぼ・たまご・ひさごの場合の様に、やはり石が割れて神が出て来ると考へたのであるが、其石から神が出て来ると言ふ話の中間の一部分――石が大きくなると言ふ一部分だけ――が発達して来たので、遂に我々には、訣のわからぬ話になつて了うたのである。
人や動物が化石したと言ふ話も、実はこの信仰の中間に出来たものだと思はれる。石の中にたまが這入つたとだけを考へると、人が石になつた、犬が石になつた、と考へる様になる。沖縄には、殊にさうした話が多い。此を逆に考へると、死んで石になつたとの考へも出て来る。さよ姫の化石譚の様なものが出来て来るのだが、此考へは反対だと思ふ。
此石が、神の乗り物・容れ物と考へられた例が、段々ある。石がぢつとして居ないで、よそからやつて来る場合がある。石にたまが這入ると言ふ信仰には、たまがよそからやって来て這入るのと、既に入つたものが、他界からやつて来ると考へたのと、此二つがあつた様だ。後者は、海岸に殊に多い。古くからあつた像石信仰が其である。大洗の磯崎神社の像石は、此有名な一つで、一夜の中に、海中から出現した神だ、といはれて居る。

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