トップページ > サービス/メニュー > カテゴリーなし > 一つの邑の生活

一つの邑の生活

一つの邑の生活が、次第に成長して、一國となり、更に、數國數十个國の上に、國家を形づくる事になつた。こんなにまで、所謂國造生活が擴つても、やはり他の邑の國造とおなじく、神事を棄てゝ了ふ訣にはいかなかつた。今もさうである樣にある時期には、神主としての生活が、繰り返されねばならなかつた。古い邑々の習慣が、祖先禮拜の觀念に結びついて、現に、宮中には殘つて居るのである。さうした邑々の信仰が、一つの邑の宗教系統に這入つて來る樣になる。倭朝廷の下なる邑として、單なる、豪族となつても、邑々時代の生活は易へなかつた。殊に經濟組織に到つては、豪族として存在の意義が其處に繋つて居るのだから、革まることはなくて續いて居た。難波朝廷(孝徳帝)から半永久的に行はれた政策の中心は、此生活を易へさせる事であつた。此がほゞ根本的に改つて來たのは、平安朝に入つて後の話である。
邑と豪族とを放し、神と豪族との間を裂くと言ふ理想が實現せられて、豪族生活が官吏生活に變つて了うても、元の邑の自給自足の生活は、容易に替らなかつたのである。
邑々に於ける國造は、自分の家の生活を保つ爲に、いろんな職業團體――かきべの民――を設けて、家職制度を定めて居た。奈良朝になつてからではあるが、才能の模樣では、所屬以外の部曲に移した例はある。朝妻手人である工匠が、語部に替る事を認可せられた(續紀養老三年)のは、社會組織が變つた爲ばかりでなく、部曲制度が、わりに固定して居なかつた事を見せて居るのであらう。
http://www.deliask.net/
http://598604.xobor.com/f2-Here-is-your-first-Forum.html

ページトップへ戻る
Copyright(C) 朝焼けは雨、夕焼けは晴れ All Rights Reserved.