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種族の歴史は

種族の歴史は、歴史として傳へられて來たのではない。或過程を經た後、「神言」によつて知つたのである。其すら、神の自ら、如何に信仰せられて然るべきかを説く爲の、自敍傳の分化したものであつた。祭祀を主とせぬ語部が出來ても、神を離れては意味がなかつた。單に、史籍の現れるまでの間を、口語に繋ぎ止めた古老の遺傳ではなかつたのである。信仰を外にしては、此大儀で亦空虚にも見える爲事の爲の、部曲の存在をば、邑落生活の上の必須條件とする樣になつた筋道がわからない。其に又、人間の考へ通り自由に、其詞曲を作る事が許されて居たのなら、子代部・名代部の民を立てる樣な方法は採らなかつたであらう。
國と稱する邑々が、國名を廢して郡で呼ばれる樣になつても、邑の人々は、尚、國の音覺に執着した。私に國を名のり、又は郡を忌避して、縣を稱して居た。其領主なる國造等は、郡領と呼び易へる事になつても、なほ名義だけは、國造を稱へて居たのが、後世までもある。けれども、さうした國造家は、神主として殘つたものに限つて居る。邑々の豪族は、神に事へる事によつて、民に臨む力を持つて居た。其國造が、段々神に事へる事から遠ざかつても、尚、神主として、邑の大事の神事に洩れる事が出來なかつた。さういふ邑々を一統した邑が、我々の倭朝廷であつたのである。
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